人生、この膨大な選択の総体

言うまでもなく、人は日々無数の選択を行っている。
 
朝何時に起床するか、何を食べるか、家を出るまでの時間をどう過ごすか、どの道のりで駅まで行くか。
ある平凡な一日をとっても、その選択は小さなものまで含めると数千から数万にのぼるだろう。
 
現在の自分、つまり今ここに実存する自分とは、自分が歩んできた人生の総体以外の何ものでも無い。
換言すれば、過去に自分自身が意識的、無意識的、能動的、受動的に行った無数の選択の結末そのものである。
 
もしこれらの選択を思慮深く、より深い見地から行うことができれば、また、無意識的に行っている
選択を極力意識的に行うことができれば、人生はきっとより良いものになるのではないか。
人生は自分自身で切り開けることと切り開けないことがあるので、自分として完璧な人生を歩める
保障はないけれども、一生を終えるときに少なくとも自分で自分の人生を生きたと感じることは
できるのではないだろうか。
 
それでは、どうすればより良い選択を日々行うことができるようになるのであろう。
 
良い選択を行うためには、自分が形成した過去の自分の枠を取り払い、選択肢を増やすことが先決となる。
自分が考えうる選択肢の数と比較すると、実は自分が選択できる選択肢の数ははるかに多い。
過去の自分の総体であり自分を形作っている小さなアイデンティティが邪魔をして、自分が行うことが
できる選択肢の幅が極小化されてしまう傾向にあるのである。
 
選択肢を増やす手段は様々であるが、その基本は自分の思考領域を広げられるか、つまり現在の自己の
思考領域をどこまで逸脱して考えられるようになるかに依存すると思う。
すなわち、自分の常識をまず疑うことが必要なのである。
 
このための具体的な手段はいろいろあるが、例えば自分の生き方と対極にあるような生き方を
している人と話をしてみたり、異文化に直接触れたり、今まで読んだことのないジャンルの本を
読み思考の幅を広げたりすることがあげられる。とにかく聖域を作らず何にでも踏み込んで
体験してみること、これが重要である。
 
これらの努力を積み重ねていけば、まず、自ずと自分の思考範囲そのものの狭さを実感することになる。
自分の思考範囲など、世界に広がる多様な文化や価値観の1%にも満たないものであることに
気づくであろう。
 
それが分かれば、自分の思考をさらにグローバルなものとし、今現在の自分から遠く離れた視点を
持つ必要性があることを身にしみて実感するから、大きな歯車が回りだし自分の枠がどんどん
大きくなっていく。
気づけば、自分がとりうる手段の可能性、すなわち選択肢の数が増えているのである。
 
さて、選択肢の数が増えることと、その中から自分にとって有用な選択肢を効率良く選択できるか
どうかということは別問題である。
それではどうすれば自分にとって有用な選択ができるようになるのか。
 
これはその人が過去の経験の中で蓄積した思考の総体で決まることであるから、一元的に考え
解決することは困難である。しかしながら、それを承知の上であえてその手段を考察しなければ
ならないとしたら、「より多くのクオリアを感じること」が最も重要なことであると言いたい。
 
クオリアとは、冬の寒い日に朝日を見た時の感覚、かき氷を口に入れたときの質感、
緊張しているときの質感、外国人と必死にコミュニケーションしようとしているときの感覚など、
言葉では到底表現できないそれぞれの独特な質感や感覚のことである。
 
私たちは生を受けてから今日に至るまで、膨大な数のクオリアを体感してきたはずである。
しかしながら一方で、世の中に存在するクオリアのうちの1%すら体感できていないのも
また真実である。
 
現代に生きる我々は、実は新たに触れるクオリアが少なくなりがちである。
例えば、テレビを見て感動したり笑ったりすることがあるだろうが、その時感じるクオリア
さほど目新しいものではないだろう。また都会での日常生活は、新たなクオリアに満ちあふれている
とは言い難いので、相当な努力をしない限り新たなクオリアを浴びる日々を送るのは
困難であると考えられる。
日々、同じコミュニティの中でルーティーンを繰り返す主婦、学生、サラリーマンは、いずれも
クオリアに満ちあふれた生活を送りづらい。
 
そのような国民の集合体である日本が直面している閉塞感は、まさしくこのクオリアの不足が
原因であるのではないかと思う。
 
隣の国と陸続きであるヨーロッパ、人種のるつぼと称されるアメリカ、様々な民族や宗教が
入り組むアジア各国やアフリカ諸国では、豊かなクオリアを体験できる機会が多い。
これをヒントとして、日本人は今こそグローバル志向を持ち、外へ外へと踏み出し、新たな
クオリアを浴び続けるべきである。
 
その結果として、従来は考えられなかった思考で日々の選択を行うことができるようになる
はずである。
 
日々の選択を自分の意志で行うこと。
そのために新しいものに触れ、新しいクオリアを浴び続け、自分の思考領域を打ち壊して
ブレークスルーしていくこと。
 
これは、昨今、閉塞感がある日本企業で、また、出口の無い迷路に迷い込んだように見える
政治で、危機に直面する教育現場で、解決策として有効であるように思えるのである。
 

 
★↓ランキングに参加中。ワンクリックするだけで投票になりますので1日1回クリックをお願いします。
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ