時間の貴重さ

時間の貴重さを常に徹底的に考え抜いている人は、人生を豊かにできると思う。
 
人は、自分の人生を削りながら時間を消費している。
時間を浪費するということは、まさに自分の人生を無駄にしていることになる。
時間とはその人の人生そのものである。
 
平均寿命は80歳程度かもしれないが、その人生の濃密さを計ることができるとすれば、
時間を有効活用した人と浪費した人とでは数十倍、あるいはそれ以上異なると思う。
 
「長生き」という概念を考えるとき、多くの人は年齢を基準とする。
しかし、私は年齢を考慮する必要はないと思う。
中身の無い人生を長生きしても意味がない。
 
さすがに20歳にも満たない子供が病気などで死を迎えるのは早すぎると思うが、
短い時間の中でも、時間の使い方次第で人生の満足を追及できるはずだ。
年齢よりも重要なのは、人生の深みをどこまで味わい尽くせたかということと、
その結果生み出される幸せの密度だろう。
決して、絶対的な時間の確保ではないはずである。
 
自分の時間の貴重さを十分認識している人は、他人の時間を浪費させることはしない。
会社でのダラダラした会議、1週間もすれば観た人の頭に何も残っていないテレビ番組など、
他人の時間を無神経に浪費させることが現代日本で多く見受けられることは、
裏を返せば自分の人生そのものである「時間」について、あまり真剣に考えていない
日本人が多いということではないか。
そうだとすれば、これは文化的動物である人類そのものの危機に直結する問題である。
 
様々な人と出会い、語り、多様性を認識し、自分の未熟さを常に痛感しつつ、同時に
成長する自分に対して時に誇りを持ちながら、創造的破壊を繰り返し、ある一定の
時間の中でどれくらいのことができるか、どれくらい自分が成長できるかを考え続け、
自らの時間を有効活用していくこと。
 
これさえ忘れなければ、同じことを日々繰り返しだらだらと生活するということは
絶対にありえないはずである。
 
少なくとも自分は常にこれを意識し、この人生という宇宙を貪欲に泳ぎ続け、
濃密で多様な時間を過ごすことによりどこまでたどり着けるのかを
自分の目で確認したいと思うのである。
 
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